広島・長崎の記憶、現代の武器輸出:80年目の倫理ジレンマ

By: 陸 / りく

広島・長崎の記憶、現代の武器輸出:80年目の倫理ジレンマ
2025年8月、私たちは終戦そして被爆からちょうど80年という節目を迎えました。 広島で、長崎で、あの朝にすべてを失った人々の声は、今も私たちの心の奥に静かに響いています。「もう二度と、あのような悲劇を繰り返してはならない」――それが被爆者の方がたが70年以上にわたって訴え続けてきた、たった一つの願いでした。 ところが今年、日本政府は防衛装備品の輸出規制を大幅に緩和し、次期戦闘機の共同開発・輸出を解禁する方針を正式に決めました。 「専守防衛」の枠内で、しかも「殺傷能力のある武器」は輸出しないという説明ではありますが、戦後初めて「日本製の兵器」が海外の戦場に送られる可能性が現実のものとなりました。 私たちはここで立ち止まって問いかけずにはいられません。 あの原爆の閃光を見た人たちが最も恐れたのは、核兵器だけではありませんでした。「戦争そのもの」が再び始まること、そして「日本が再び戦争に加担する国になること」だったはずです。 もちろん、現在の国際情勢は1945年とは大きく異なります。 ロシアによるウクライナ侵攻、北朝鮮のミサイル発射、中国の軍拡……日本を取り巻く安全保障環境は厳しさを増しています。国民の命と国土を守るために、ある程度の抑止力が必要だという意見も、決して軽視できません。 しかしだからこそ、私たちは慎重でなければなりません。 一度「輸出」という扉を開ければ、次はどこまでが「防衛」の範囲なのか、誰が線引きをするのか。経済的な誘惑や同盟国の圧力に流され、なし崩しにエスカレートする危険は、歴史が何度も証明しています。 被爆者の方はもう高齢です。 80年前のあの日の記憶を直接語れる人は、年々少なくなっています。だからこそ、今を生きる私たちが、その声をしっかりと受け止め、次の世代に引き継ぐ責任があります。 兵器を輸出することが「現実的な選択」だとしても、私たちは同時に問い続けなければなりません。 「日本は、どんな国是として掲げてきた『平和国家』の看板を、本当に下ろしてよいのか」と。 広島と長崎で学んだ最大の教訓は、「力には力で対抗する」ことではなく、「対話と信頼で戦争を防ぐ」ことでした。 80年という歳月は、傷を完全に癒すにはまだ短すぎますが、忘却するには長すぎます。 どうか、私たちはこの夏、もう一度だけでも静かに目を閉じて、あの日の空を思い浮かべてみませんか。 そして、自分の子どもや孫に胸を張って語れる未来を、私たち自身の手で選び取っていきませんか。 原爆ドームの前で、平和記念公園で、毎年8月に響く平和の鐘の音が、 これからもずっと、ただの「過去の音」ではなく、「未来への警鐘」でありますように。

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